富田秀信
京都府連会員。

京都・東寺の近くに住み、神戸・元町の旅行会社に勤める。
1996年春に倒れた妻の千代野さんの介護も続けている。

WEBマガジン 福祉広場」(千代野ノート)

 
その① 「武士の一分」


こういう結婚からは元気をもらうものだ。

ベトナムの現地旅行社ガイドのブー君と、東京の介護士の大塚雅美さんが新しい門出をきった。ここにくるまで6年かかったそうだ。

6年前、雅美さんが個人旅行で訪れたベトナムのガイドを、ブー君の同僚がやり、そのツアー中ブー君を紹介したのが馴初めらしい。今でもその同僚は「本当なら僕が雅美さんの旦那になっていたかも…」と口惜しむ。

 私も数年前からベトナムに行く度に、ブー君本人や同僚から二人の様子は聞いていた。

そして結婚がスムーズに行かない様子を…。

日本から4000キロ離れた国、ベトナム戦争の後遺症での貧しい国など、雅美さんご両親の当然の不安。それに対して雅美さんは、自身が見て感じた「ベトナム」を両親に伝える、ブー君はお互いの国の慣習の違いからくる予想される困難と、それに立ち向かう信念を手紙にしたり、日本に来て両親に面談を重ねたりの努力を積みかさねた。

国際結婚にありがちと言ってしまえばそれまでだが、日本人同士ならなんら苦労のない「婚姻は二人の意思で成立する」の上に、理不尽にもお国事情を背負わねばならない二人。

 グエン・ホアン・ブー君は、自他ともに認める優秀なガイドだ。

語学は当然として、「日本」への勉強心が群を抜く。絶えず新しい情報を身につけ、ツアー客の名前は勿論、顧客団体の特色を理解するのが早い。ガイドの出来不出来はツアーの評価を決定的にする。だから私など、ツアーの日程決める前に、ブー君の予定を聞くようにしている。彼の会社の代表も東京出身の日本人。だから「日本人の心」を社員に重点的に教育するそうだが、日本の新鮮な情報に事欠くと言う。そんな時私なんぞがその代わりをする。彼は食物も日本通なので、何度も日本料理店で我々夫婦のなれそめや、妻が倒れた当時の事、数年前の映画「武士の一分」では、「ブー君、これはイップンでなく、イチブンという」と、誇りを持って仕事に取り組む事や、プライドを持つ人間の生き方を、酔いも回って偉そうに人生訓したものだ。

今でも彼は、何かあると、「富田さん、ブシノイチブンだよね」と笑う。

                              (続く)
 

 
その② スタッフ兼キャスト


「義理やつきあい」の対極に「この人のためなら」というのがある。

今回の結婚もその一つ。昨春奈良で、いよいよ式の日程まで相談できるようになったと二人から聞いので、日程は万難を排した。そしてブー君を知る京都の知人に声かけもした。



 5月20日、関空、成田(雅美さん家族含む)から飛び立った人々と、現地合流組総勢30数名は、ただブー君の友人という一点でホーチミンタンソニアット空港に集結。そこからプロペラ機で北へ1時間、バンメトート着。案の定二人が出迎え。そして本来ホテルでの夕食予定が、バスで1時間ばかりのブー君の実家で村人共々と。全員異存あるはずがない。

 ベトナム中部の農村、夜になれば薄明かりが簡素な家にポツンポツン。そこに大型バスが乗り入れる。怪訝そうな村人、そして実家ではブー君の父上と母上が我々を出迎え、宴席へ案内し、盛りだくさんの料理がまさしくテーブル狭しと並べられる。実家はコーヒー栽培をしていて、ブー君は6人兄弟の長男とも知った。ふと装飾棚を見ると、彼が2年前京都を訪れた時、我々が贈った「温故知新」扇子が飾ってある。我々の思いがこんな風に大切にされている事が嬉しい。



 ホテルに戻ったのは12時近かった、帰りのバス車中でもブー君はガイドをやり、ホテルのチェックインもとフル稼働。

そして一夜明け、ロビーに降りると何と、スーツ姿の彼とウエディングドレスの雅美さん。

会場入りのバス車中でまたしても、スーツ姿の彼はガイドと司会をやる。とにかく元気。

日本からの30人の自己紹介で、初めて二人との関係をお互い知る。雅美さんの母上からは「どこのどなたかお名前も存じませんが、わざわざ日本からお越しいただいて…」との率直なお礼の言葉。そして父上からは「…娘を『ベトナム』に嫁に出しました…」と、絞りだすような一言。聞けばお二人とも東京の福祉施設に勤務されているという。その背中を見て、彼女も同じ道を選んだのだろう。お二人から私に、拙著「子どもになった母さん」を読ませていただきました、との一言もいただいた。

                                     (続く)

  

 
 
その③   熱気と静寂

キリスト経と仏教が織り交ざった結婚ミサは初めてだ。

十字を切った後、長い線香を挙げる。賛美歌の後、お供えあり、勝手のわからない我々は回りの村人がやるように立ったり、座ったり、お祈りしたりとキョロキョロしながら約1時間半、天井こそ高いがクーラーのない広く立派な教会に満席の600人。スーツ姿のブー君もさかんに汗を拭いている。ここでも彼はまたもや、日本人の我々ために神父の挨拶を通訳した。どこまでもサービス精神旺盛である。

休憩後、隣の建物で披露宴。

何せ600人。日本のホテルでも多くってもせいぜい300人、とにかくお祝いしたい人を全部呼ぶのが仕来りらしい。ここでも当然ながらテーブルに並びきれない料理の数々。

音量高いスピーカー、暑さ、テーブル上の簡易コンロの火…熱気に圧倒される。

それでも日本の様な形だけの挨拶、スピーチが無いのが良い。ただ素朴に二人を祝い、皆で楽しむ様は、形は違え、その昔の日本の田舎もそうだった。

 我々の帰りのバスの誘導をも、わざわざブー君がやっている。

そして、ホテルに戻りしばしの休憩。私なぞプールでやっと人心地。

夕食は趣き変え、店内貸切の海鮮料理。普段着に戻った二人のホストホステス。披露宴と違ってガンガンに冷えた「333」とダラットワインが美味い。その後も二次会、ホテルに戻っても、どなたかの部屋で酒盛りと疲れを知らぬ日本人。そして最後まで付き合うブー君の健気な姿。

 翌日はバスで避暑地へ移動。象乗りも体験出来るヨックドン国立自然公園の湖畔。

ロッジに野外バーベキューと民族舞踊。これも二人が何度も下見して我々のために企画したもの。

夜の帳が下り、豚一匹分のバーべキューが豪快。アイスBOXの「333」、キャンプファイヤーと全員童心に戻る。中でも二人の粋な演出は、DVDでの二人の生い立ちが野外スクリーンに。「333」持つ手が止まる。しだいに喧騒から静寂に戻る。日本とベトナム、別々の国での二人の30数年の生い立ち、ベトナムでの出会いから結婚までの試練が、映像でも理解出来る。その後あいさつしたブー君の初めての涙。あいさつに続く人々も涙が止まらない。

 昨日の熱気と笑い、今宵の静寂と涙。二人の喜びと苦労が凝縮したこの2日間。

ふと見上げた夜空の無数の星屑も、そんな二人を祝福しているような…。

                                     (終)

 

  

 

寄稿

新しい架け橋